Monday, September 25, 2006

引っ越しました

また引っ越しました。
でも、今度は本当の家ではなく...

my blogを新しいサイトに移動しました。
gooブログにずっとお世話になってたけれども、自分のブログに必要のない情報が多すぎるのと、自分で編集する機能の使い勝手が良くない(私が分からないだけかもしれない)との二つの理由から、今のブログサイトに移動することにした。

私はまだ初心者レベルで、HTMLとかCSSとかについてもほとんど知識のない状態ですが、台湾のYam Blogサイトの初心者講座には詳しいガイドが載ってあるので、ブログのテンプレートデザインや機能追加などをいろいろ試しながら作ってみた。
例えば、バナーに使われた画像は数年前白川郷合掌集落に行った時撮ったお気に入り写真を元に編集したもの。また、来訪者のカウントやBBSなどを追加したこと。

これらを作るのにかなり時間がかかった。
本当はやらなければならない「正事」(注:北京語、大事な仕事)は山ほど積ってるのに...(苦笑)
でも、「正事」は行き詰まってる状態だから、
ブログ作りに「現実逃避」してしまった。

そろそろ仕事に集中しなくちゃ。

ブログの更新はまたしばらく「お休み」になるかも。

Friday, September 01, 2006

教科書の必要性

高校までは、わたしはかなりのガリベンだったけれども、「教科書」というものは正直あまり好きではなかった。そんな自分が教師になったら、生徒に「教科書」を指定するべきでしょうか?

9月の新学期から担当する「デザイン基礎演習」という授業では、
他の2名の先生と一緒に一クラスを指導することになる。
先日、この授業の進め方や内容などについて打ち合わせていたところ、
B先生は教科書を指定すべきではないかと提案した。
しかし、わたしはその提案に対して賛成ではなかった。

B先生は、今頃の学生は自発心が足りないため、教科書をちゃんと指定しないと、
学生は学習する土台がないという理由で、教科書を勧めた。

もう一人のJ先生も賛成の意見を出した。
教科書があれば、学生も事前の予習ができ、
授業の流れもより把握できるようになるという考えだった。

しかし、わたしの持論は、
デザインの勉強はより幅広く、より自由で、発想的なトレーニングのほうが良い
と思うから、生徒さんに何冊かの参考書を薦め、興味を持って自発的に読むように
させたいため、あえて「指定」はしない、というものだ。
それに、皆に同じ教科書を指定したら、それぞれの作品は似たようなものとなる
可能性が高くなると予測が付く。

そして、「デザイン基礎演習」という「演習」は、
手を動かして実作することを通して、人それぞれの感性を引き出し、
デザインのセンスを磨くという授業じゃない?
だから、「教科書」の「指定」は必要だろうか?と、わたしは疑問を持った。

記事を書いている今は、もうだいぶ考え直して、
ほか二人の先生は教科書の指定によって学生を勉強させたいという読みは
わたしの誤解だったかもしれないと少し反省したけど、
まだ100%納得したわけではない。

もう少し考えてみると、
そもそもわたしが反対したのは教科書ではなく、「指定」という言葉かもしれない。
その言葉にひねくれ者のわたしの「反発魂」が灯った。
と、やっと自分で納得した。

わたしの考え方は極端すぎるのだろうか?

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付記
友人K君のアドバイスを受け、教科書の必要性について理解できた

Tuesday, August 15, 2006

カギ

現代社会において、誰でも必要のため常に1本や2本くらいのカギを持ち歩いてると思うが、私みたいに出かけるたびにこれほどたくさんのカギを常に待ち歩かなければ困るというケースは普通ではないだろう。



写真で示したように、カギの種類もさまざま。
家用には、門のカギ2本、エレベーターのセンサーキー1個。
車用には、カギ1本、リモコン1個。
勤務先には、入り口のカギ1本、シャッターのリモコン1個、セキュリティーカードキー1枚
(実は自分の部屋のカギはこれから配られるし)。

Tuesday, July 11, 2006

近況報告&住宅事情

長い間ずっとこのブログをほったらかしていた。
書きたい気持ちはあって書きたいこともたくさんあったけれども。。。

現実にはいろいろ処理しなければならない雑務が多すぎて、
それらの出来事についてゆっくり吟味して記事を書く余裕はなかった。

やっと一段落に着いたため、早速ブログを更新する。

実は先日引っ越した。
実家から約200キロほど離れている土地へ。
そこには私の新しい勤務先があるのだ。
お勤めは8月1日からだけど、事前の準備などもあるため、早めに引っ越した。

新しい住まいは市営団地にある3LDKの物件で(30坪くらいあるかな?!)、
家賃は、日本円にすると約3万5千円なのだ。
この物件は立地がいいため、家賃はやや高いと思われる。
しかし、私が日本で5年間借りていた、月に4万5千円の10帖半の1Kルームに比べたら、ずいぶん安いね!
台湾と日本の住宅事情はこんなにも違うことに驚いた。

さらに、この部屋には新しい家具が付いているため、大変助かった。
引越しの時は洋服や生活雑貨、書籍などの私物を運べばすぐに住めるし、出費も大幅に抑えることができる。
付いてくれた家具は高級品でなくても、幸い、センス悪くないものだから、
まあいいだろうと思い、すぐに決めた。

ただ、せっかく太平洋を渡って日本から帰ってきたのに、またすぐ実家を離れ、一人暮らしが始まることは、なんだか寂しい。

やっぱり年のせいなのかな?!
一人で居ることは少しイヤになりつつある。

Friday, May 19, 2006

台湾バナナ [その1]


子供の頃に住んでいた家の近くにバナナ園があった。
バナナの木を見るのは当たり前のことだったが、実はバナナの生態についてあまり知らなかった。
先日、日本から来たY先生の通訳を担当したおかげで、台湾バナナについて
少し詳しく理解することができた。

温泉地理学と観光地理学を専門としているY先生は、今年の3月に日本の大学教授を退官になり、台湾のある大学で特別講義をするために3週間ほど高雄県内門郷という町に滞在していた。
内門郷の隣にある旗山鎮は台湾バナナの主要産地として名が知られている。町のほとんどがバナナ畑で、まさに名実ともに「バナナ王国」と言える。
地域のまちづくりシンポジウムで知り合った地元の方がY先生を自家バナナ畑に招き、バナナの生態や採集作業などを見せてくれた。

地元の方の解説を聞いて、バナナの木は一年生植物で年に一回しか実を結ばないことを初めて知った。
バナナの実が成長している間に、親株の根元に子株の芽が生えてくる。親株の実を大きく育てるために、子株の芽が先に刈り取られ、別の畑で新しく植えられる。
そして、収穫を終えた親株は根元から切り取られ、子株の肥料になるのだ。
旗山のバナナ畑では促成栽培ではなく、じっくり成長するため、味、香りが濃くおいしくなる。
子株を植付けた季節によって収穫時が変わってくるので、
旗山のバナナは一年いつでも収穫がある。

ちなみに、バナナの実は木の上から下へ成長していくらしい。
実になり始めの頃のバナナはスマイルのようなカーブではなく、鉛筆みたいな直線なのだ。


写真に映ったバナナの木は約10ヶ月で、
これからは成長につれ、徐々に上のほうに曲がっていく。
バナナの木は見慣れていたが、赤ちゃんバナナってこんな感じなのだって驚きながら少し面白く思った。

Sunday, May 14, 2006

デジカメ用巾着


先日新しいデジカメを買った。
そのデジカメの収納ケースを買いに電気屋さんで探してみたけど、
気に入ったものがなくて、自力で作ることにした。

久しぶりの裁縫作業なので、布のサイズを切り間違えたりしてミスをしながらようやく縫い合わせた。
出来上がった作品はなかなかかわいいと、自画自賛したくなった。

私の裁縫センスは母譲りだと思う。
子供の頃からミシンを踏むのが好きなのだ。
小学校1年の時に、お人形の洋服を作るため、母の大事な布をメチャクチャに切ってしまって、ひどく怒られた記憶がある。(笑)

ちゃんと習ってないので、今までは簡単な買物バックやポーチなどしか作れかった。
今度は裁縫の専門書を研究しながら、もっと複雑な作品に挑戦してみたい!

Wednesday, May 10, 2006

日本語in台湾 [その2]


母が買ってきたお菓子のパッケージに日本語が書かれてる。
一見してごく普通な日本菓子のように見えたが、ちょっと何か引っかかった。
もう少し詳しく見てみると...

(なんだ!日本語が間違ってるじゃないか?!)

前の記事では台湾のスーパーで販売されている品物に日本語が多く書かれてあることを書いた。
しかし、こちらの事例のように、ところどころ日本語が間違ってることも少なくない。
特に「ツ」「ッ」や、「シ」「ツ」の誤用/誤植/誤字などが多く見られる。
たまに訳の分からない間違いによって意味不明な日本語になってしまうこともある。

このようなちょっと間抜けな日本語表記を見ると、なんだかちょっと情けない気持ちになる。
商品として販売するにはプロ意識が無さ過ぎると思う。
例えそれらの商品は台湾限定で販売されるとしても、日本語を書くなら、
ちゃんと正しい日本語で書いてほしい。

台湾のメーカーたち、お願いだから、どうか「間抜けミス」をこれ以上氾濫させないように!

Tuesday, May 09, 2006

日本語in台湾 [その1]

最近台湾のスーパーで買物をしながら、日本に居るかのような「時空錯乱」を感じた。
なぜなら、棚に展示されている品物には台湾の言葉ではなく、日本語が多く書かれてあるからだ。

グローバル化のせいか、近年日本語は台湾の多くの分野においてよく使われるようになってきた。
しかし、これというのは、日本語が話せる台湾人が増えたということではなく、
日本語の言葉が台湾のあちこちによく見られるようになり、
台湾人がそれらの言葉を普通に使うということだ。

(え?どういう意味?!なんだかややこしくて理解しにくいね...)

簡単に例を挙げてみれば、少し分かりやすくなるかな。
「元気」「人気」「宅急便」「宅配」「物語」「達人」などの言葉は、本来は「日本語」のはずなのに、
いまは台湾の共通語と化して、台湾人が普通に使うようになった。
ただし、日本語の発音ではなく、北京語の発音で使われている。
さらに、「和製英語」のように、日本語を一部取り入れ、台湾語や北京語と合成して、
新しい用語を創り出したりするのだ。
最近流行りの「泡湯」は「合成新語」の一例である。
「泡」は北京語で、「液体に浸かる」という意味を持つ。
「湯」は日本語で、「男湯」「女湯」など、温泉地でよく使われる。
だから、「泡湯」はいわゆる「温泉に入る」ことである。

しかし、本来、北京語には「泡湯」という用語もあった。
北京語の「湯」は「スープ」であり、風呂や温泉の意味は持たなかった。
「泡湯」は「何らかの事情で、物事が壊れたり、駄目になったりする様子」を表す言葉だった。

台湾も日本も漢字を使う国なので、漢字だけの日本語用語は簡易に台湾人に受け入れられる。
だけど、同じ漢字でも、日本語と台湾語または北京語の意味が類似する場合もあれば、
意味合いがはるかに違う場合もある。
例を挙げた「元気」「人気」「宅急便」「宅配」「物語」「達人」などは、
本来台湾のオリジナルな言い方はあったが、いま日本語という外来語が
マスメディアを通じて流行りになり、一般的に使われるようになっている状況を見ると、
日本語発音でその言葉を使っていた私はなんだか違和感を覚えた。

グローバル社会において、外来語もいいけれども、
母国のオリジナルな言い方はどうか忘れないでほしいのは本音なのだ。

《注》
「日本語」→「北京語」
----------------------
「元気」→健康、活潑、有精神
「人気」→紅、受歡迎
「宅急便」→快遞
「宅配」→貨運
「物語」→故事
「達人」→高手

Saturday, May 06, 2006

Speak English

私は英語力が良くないせいで、4年前にある国際会議でたいへん悔しい思いをした。

その時は始めての国際会議での論文発表だから、緊張の絶頂だった。
発表はちゃんと準備したので、何とか無事に終わらせた。
しかし、
質疑の時にいきなり英語に強いなまりのある方に質問され、頭が真っ白になってしまった。
私は質問の意味がほとんど理解できず、ひたすら自分が伝えたいことだけを喋って
何とか誤魔化して質問の内容に少しでも関連付けたら良いと、必死だった。
あの時の状況を思い出すと、やっぱり今でも恥ずかしいと思う。

その後、ずっと悔しくて英語を改めて勉強しようと思い、
台湾から英語教育の雑誌を取り寄せてぼちぼち勉強してみた。
でも、周りは日本語ばかりで、日本語の勉強が優先されている環境では
英語の上達はなかなか難しかった。

最近帰国してから、日本語を聞く話す機会が極端に減り、
それに対して、英語をよく聞くようになった。
台湾のテレビでは、英語教育番組は勿論のこと、洋画なども吹き替えをせず、
英語のままで放送されることが多いため、英語に接する機会は少なくない。

自分の学生時代を振り返してみると、
英語が得意って自慢できるのは中学校~高校1年までの短い間だった。
高校2年からは自分がよく頑張らなかったせいか、先生の教え方が良くなかったせいか、
英語の成績が上がるどころか、悪くなる一方だった。
それでかなり挫折しちゃって英語の勉強に対する興味も徐々に薄れてしまった。

でも、やっぱり国際社会においては英語は不可欠なコミュニケーションの手段である。
だから、社会人復帰を機に、語学力アップのことについて改めて考えてみた。
長年勉強してきた日本語のことはもちろん忘れずに愛用し続けたいが、
これからは英語を再勉強し、そしてもう一つ何かの外国語も習いたいと思う。

Friday, May 05, 2006

小さな天使

後輩のT君のお子さんは先々週無事に生まれた。

予定日より五日間も早く生まれてきたので、
この新米パパは少し驚かされて慌てていたそうで、
分娩室の外で待たされた時にポロポロ泣いたらしい(あ、シー、ナイショよ!)。

赤ちゃんの写真を送ってもらった。
すやすやと眠る綺麗な寝顔。幸せそうで。
写真を見るだけで、こちらまで心が優しくなれそうな気がした。
自分の子供じゃないのに、なんだか愛しく思った。
赤ちゃんって不思議な生き物だね!
小さくて可愛らしくて、天使みたい。

後輩は学生結婚なので、これからは
子育てやら学業やらでいろいろ大変かもしれないけれど、
小さな天使が傍に居てくれるだけで、きっと幸せいっぱいでしょうね!

この子はきっとみんなに愛され、すくすくと成長していく!と、
私は赤ちゃんの寝顔を見てそう思った。

どうかお幸せに!

Thursday, May 04, 2006

苦手な食べ物

世の中に何でも食べるという人も居れば、苦手な食べ物があるという人も居る。
最近、「食べられないもの」について友人のMさんと話が盛り上がった。

Mさんは「ゆで卵」が苦手だと言った。
苦手なのはその「食感」だという。プリプリとしている食べ物全般がダメらしい。
つまり、ゆで卵の卵白の部分や、ゼリー(ややダメ)、こんにゃく、えびなどが好ましくない。
想像するだけで体がふるえる、と。

しかし、Mさんが苦手な「プリプリ系」が、実は私の好物なのだ。
Mさんの話を聞いてなんだかとてもおもしろいと思った。
人の好き嫌いって実に興味深いね!

そう言えば、私の苦手な食べ物No.1は、生卵なのだ。
なぜなら、生卵の匂いが堪らなく駄目だからだ。
あと、その「トロトロ」感もダメ。
別にトロトロとしているものが苦手だというわけではなく、
生卵のトロトロ感が玉子という食べ物に似合わないと、なんとなく違和感を感じていた。
日本の温泉旅館の朝食に必ず出される「温泉卵」も恐ろしくて食べる勇気がなく、
今まではいつも食べないまま、隣に坐る友人に差し上げていた。
だが、つい最近初めて挑戦してみた。
それは家族を連れて伊豆方面に旅行に行った時のことだった。
「絶対臭わないから」と保証付けで、
「美味しいから、騙されたと思って一回くらい食べてみて」って強く勧められたから、
つい初挑戦してしまった。
結局90%平気で完食し、正直美味しかった。
今まで「温泉卵」を食べ物から外したことはちょっと損したね!

今まで友達から聞いた苦手な食べ物の種類は様々である。
元同僚のH君は、丸くて「つぶつぶ」のようなものが苦手である。
例えば、グリーンピース、小倉、タピオカなどが嫌い。
理由はよく分からないけど、たぶん幼い頃に豆を食べて噎せた経験があって
トラウマになったのではないかという説がある。
あと、後輩のLさんは「ヤクルト」が苦手。
乳酸菌飲料の匂いがダメだという。カルピスやヨーグルトもあまり好ましくないらしい。
Lさんの旦那さんがそのことを知らず、ある日「ヤクルト」を買ってきて冷蔵庫に入れたら、
Lさんに「臭いから早く処分して」って怒られたというウワサを聞いた。
夫婦って食べ物の好みが一致でないといろいろ大変かもね!

食べ物に対する好みはいったいどのように形成したのだろう?
たぶん、親に受け継がれた遺伝子、生まれ育った環境、幼い頃の経験。。。などが
関係していると思う。
でも、好みは変るものだと思う。
子供の頃に嫌いだった食べ物が何かのきっかけである日から好みになったりする。
例えば、ネギ、なす、ピーマンなど。
けど、子供の頃に好きだったものもだんだん食べらなくなる。
これは、大人になって好みも大人の味に変ってきたからかもしれないね!

リニューアル

長い長い留学生活を終えてようやく帰国した。

もうすぐ社会人復帰。
なんだかワクワク、ドキドキ。
社会人、6年ぶり。
少し緊張気味。

今度は責任重大な仕事が任された。
プレッシャーを感じているが、前向きにチャレンジャーしてみたい。

新しい出発と共に、ブログもリニューアルする。

Friday, February 10, 2006

映画―「ALWAYS三丁目の夕日」

テレビで映画の宣伝を見た時からずっと見たかった。
先日研究室の友人にも薦められた。
やっと論文の作業から解放されたし、映画の最終上演の前に見に行ってきた。

昭和33年(東京タワーが完成したその年)東京下町の夕日町三丁目を
舞台にした物語だからなのか、観客の9割が60代のおじさん、おばさんだった。
友人の話の通り、涙を催す映画だった。
タオルを使わなかったけど、ティッシュを数枚使っちゃった。
上演会場で涙ながら映画を見ていたのはわたしだけではなく、
隣の隣のおじさんも、
右後のおばさんも、
あと、
前の前の列の誰かも

わたしも昭和生まれだから、昭和の雰囲気が好きなんだ。
映画に出てきた風景や場面は、自分が経験したものよりやや昔のことなんだけど、
誰の家でも鍵をかけず、扉が開いたまま普通に暮らしていて、
単純で、温かくて、人情も活気も溢れる下町の雰囲気が
幼い頃の記憶と重なった部分があるから、
わたしも少し懐かしく見ていた。

この映画を見てて、穏やかな気分になった。

最後に、
あの鈴木オートの社長が乗ってたややボロボロの青い小さな車は
とってもかわいかった!
できたら、一度くらい乗ってみたいかも。

Thursday, February 02, 2006

尊重



わたしは現在大学の寮に住んでいる。
今日の昼過ぎに、わたしは部屋でお昼を済ませ、ベッドの隅っこでまったりしてテレビを見てるとき、
突然、ドアがトントンと叩かれた。

「え?誰なの?」と思って、すぐに立ち上がってドアに向かった。

その次の瞬間、ドアの鍵がガチャンと開けられた!
ドアの内側にチェーンが掛かってるため、入られてしまうことはなかった。

(キャー、なんなの?!)

ドアの穴から覗いてみると、作業服を着てる人が居た。
ドアを開けて、尋ねてみたら、なんと火災探知機の点検をしにきたと言う。寮の関係者も一緒だった。
しばらく待たせて、干してある服などを軽く片付けてから、再びドアを開け、点検をしてもらった。

点検作業は3分ほどで終了したけど、
さっき勝手にドアを開けた寮の関係者の乱暴かつ非礼な行為に
とても不愉快に感じた。

確かに、ノックはした。
しかし、何も声を出さずに、わたしの返事も待たずに、すぐに管理用の鍵でドアを開けた。
それはおかしいじゃないか?!

人の私領域に立ち入る時に、
「ごめんください」
「失礼します」
とかを言うべきじゃないでしょうか?!
しかも、わたしが部屋の中に居ると分かった時に、一言も謝らなかった。

もし、その時、ドアのチェーンが掛からなくて、わたしがちょうど着替えていたら?
もし、わたしはちょうどお風呂を上げって、バスルームから出ていたら?
もし、わたしはまだ寝ていたら?

これって、プライバシーの侵害にならないでしょうか?

大学の寮とはいえ、住んでる人のことを尊重すべきではないでしょうか?
点検などといった必要な行事としても、部屋の中に人が居るかどうかを確認してから、鍵を開けるべきではないでしょうか?

わたしは、その後、すぐ出かけて学校に向かおうとしたが、一階の入り口の脇にあった掲示板に張ってある点検の知らせを見た。
掲示はしてあるが、わたしは最近たいへん忙しくて、帰りはいつも夜中だから、全然気付かなかった。
(昔、個人のポストにも知らせを配布されたりしたけどね!)
掲示を見なかったわたしには悪いところがあった。
ただし、知らせに書かれた文書にはまた腹が立った。

なぜなら、「...その時、それぞれの部屋に入るので、貴重品などを十分に気を付けてください」という言葉が注意事項を示すような赤字で書かれていたから。

大切なのは貴重品か?!
寮に住んでるわたしたちはみんな点検の作業員や寮の関係者を泥棒扱いしてないでしょ。
大切なのは、人間としてお互いの尊重だと思う。
わたしは、点検作業を行う人の仕事を尊重し、人格を信用したい。
だから、ここに住んでいるわたしのプライバシーも尊重してほしい。

こんな心のない寮に長く住む気がないと、わたしは思う。

Tuesday, January 31, 2006

公聴会

今日、論文の公開審査会を終えました。

正直、この論文をまとめる最後の最後の段階はとても辛かった。
自分の能力を疑うぐらい、苦しんでいた。

こうして最後まで頑張ってこられたのは、
たぶん、負けず嫌い性格のおかげだと思う!

いま、自分に、少し褒めてあげたい!

「おつかれ!」

そして、今まで支えてきてくれた皆様にも

「ありがとう!」